「さぬきの夢」小麦の生長を追って
種まき
「さぬきの夢2000」小麦は 11月中旬〜下旬に種まき(播種(はしゅ))を行います。
小麦の種を蒔く前に、「事前耕起(じぜんこうき)」を行います。
これは、畑の草を土の中に埋め込んだり、畑の表面に出して枯らすために行います。又 「土を細くする」といい、土を掘り起こしてふわっとした感じに仕上げる目的も持ちます。「土を細くする」ことにより、出芽率がアップします。
麦踏み
麦踏みの時期
12月の後半から節間伸長が始まる3月下旬頃までの間に2〜3回行います。
麦踏みの目的
穂揃いの均一化、倒伏し難くする、分けつの促進(穂の数を多くする)等の目的があります。
生長の様子
(1). 順調に育つ「さぬきの夢2000」(平成17年1月29日)〜 種蒔き後 約2ヶ月
播種直後に雨が降って滞水すると、出芽や初期生育が悪くなります。こうした播種後の湿害を防ぐため、播種時には2〜5m間隔で排水耕を設置します。 最近は省力で効果的な排水対策として、畦盛(うねもり)板を利用した機械化畦立(うねたて)栽培法が普及してきています。 写真のように排水溝の設置が一度にできるのが特徴です。排水溝は落水口につながっていて雨水が流れ出るようになっています。
可愛らしく仲良く整列して、順調に育っています。
(2). 4月終わり頃の「さぬきの夢2000」】 〜 種蒔き後 約5ヶ月
大分 成長し、小麦の若者たち!といった感じです。活き活きと、伸び伸びと成長している様子がよくわかります。
成熟期
香川県の小麦は、5月の終わり頃に刈り取ります。
この頃の讃岐平野は、山の上から眺めると、一面見事に黄金色になります。それは、素晴らしい眺めです。明治時代から昭和初期にかけて、最高47,000tの小麦生産(現在2007年度の約10倍)があった頃は、それこそ平野全体が黄金一色だったと想像できます。
古代から近世の讃岐地方では、おそらく現在の私たちが知らない、収穫に関するいろいろな祝祭行事や 祈祷(きとう)の儀式などが行われてきたのではないでしょうか。というのも、生きる糧を得ることへの祈りと感謝は、相当なものだったろうと想像するから。讃岐の地に住む人たちにとって、毎年の収穫量は、状況によっては生死にかかわる真剣なものだったと思うのです。
農業が宗教や文化につながる奥深さは、人間の糧を作る作業であると同時に、毎年 大自然を相手に、将来の"生"をかけて大地を耕すという「"他"に"自"を預けた行為(仕事)」であるところからも、きているのではないでしょうか。 自分の力だけでは成就しないことを日々感じて生きることは、宗教的な発想や諦観を人間に与えたのではないでしょうか。 風が走る静かな小麦畑に一人 ぼんやりと見渡していると、いろいろ想像してしまいますね。
刈り取りの風景
5月の終わり、いよいよ刈り取り、収穫です。収穫は英語でハーベスト(Harvest)ですね。何だか良い言葉の響きだと思いませんか? ハーベストって。
豊かな稔り。丸く豊かな小麦の粒。
ハーベスターは、小麦を茎の下の方から拾い上げるようにコンベアで吸い込んで、小麦粒をタンクの中に貯め、茎のみを排出していきます。
戦前は、讃岐の民家も藁(わら)屋根が多かったことから、長幹種の小麦は、重宝がられていました。藁屋根としての耐用年数は15年から20年、大屋根の葺き替えは年をおっての計画が必要でした。
あっという間に、どんどん刈り取られていきます。私が子供の頃(昭和30年代)の刈り取りと言えば、農家の人達が麦わら帽子にタオルを顔に巻いて、腰を折り曲げて、鎌(カマ)で刈っていた光景が目に浮かんできます。
藁(わら)は、子供の目にはマンモス象の太い足か、小屋のようにも見えたのですが、綺麗に積み上げられ天日乾燥されていました。この藁(わら)が背中に入ると、チクチクしてとても痒かった.....
採れたての「さぬきの夢2000」です。
この小麦は、「カントリー・エレベーター」(聞きなれない名称ですが....最下段の写真をご参照ください。)といって、各地区にあるJA香川県の乾燥工場に運び込まれ、品質チェックを受け、その後指定水分まで乾燥されます。製粉工場に正式に入荷するのは、大体8月頃ですが、吉原食糧では「7月2日のうどんの日」に香川県が主催する「新麦うどんフェア」等のため、特別に6月に少量を製粉加工します。
ここから、さぬきの夢2000小麦のうどんへの遥かな旅が始まるのです。