小麦開発ストーリー

最初に、香川県産小麦の生産推移とオーストラリア産小麦との関係をみてみましょう。 両者の背景を見ておくと、「さぬきの夢2000」の開発の意味や流れがよく見えてくるからです。

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昭和48(1973)年、国内産小麦の政府買付量は20万tまで落ち込んだ。いわゆる「麦の安楽死」と言われた時代である。現在の国内産小麦生産量の約28%程度でしかない。日本の小麦は まさに瀕死の状態に陥っていた。

香川県においても、昭和48年の作付面積は326ヘクタール(昭和45年度は3,410ヘクタールあったが、昭和47年には1000ヘクタールを切った)と、小麦生産量は激減を続けた。(因みに平成29年度のさぬきの夢2009の作付面積見込みは1,730ヘクタール)

香川県産小麦の生産量から見ると、昭和40年には、34,100t 昭和45年には1,090tという激減傾向を示し、特に昭和45年度は天候不順による壊滅的な収量状況(単収の不足)に陥ったことを物語る。
小麦生産者は 生産意欲を失い、年々作付面積は激減していくこととなった。

■意外に知られていないオーストラリア産小麦と日本の関係

一方、オーストラリア産の小麦は どうであったのか。

オーストラリア小麦はFAQ(Fair Average Quality)という一種の格付けによって長い間海外市場で取引され、高い品質評価も得てきた。西オーストラリア州のFAQ小麦が初めて日本に船積みされたのは昭和30(1955)年であった。

しかし、FAQを日本の食糧用小麦として輸入することは、日米の貿易経済関係という国策と、麺の色が「黄色っぽい(Creamy Color)」という日本側の評価の2つの問題(当時 日本ではうどんの色は白色としており、黄色っぽさを容認しなかった)から 日本側は受け入れを拒否した。

あまり知られていないが、当時(昭和30年代前半まで)の麺用小麦は、米国のWW(Western White)という 現在の日本でケーキ等菓子に使われている薄力の原料小麦を国内産小麦と共に使用していた。
麺用のソフト小麦として、年間80万tを米国からWW小麦を日本は買付けていたのである。

オーストラリア小麦庁(AWB)の懸命な努力や交渉にもかかわらず、日本側はオーストラリア産小麦の買付けを拒否した。
しかし、昭和32(1957)年 日豪2国間貿易取引協定が締結され、ようやくオーストラリア産小麦を毎年日本に輸出できる道が開けたのである。

だが、量的にはまだまだ少なくソフト小麦に限定され、セミ・ハード系などの高蛋白の小麦は含まれなかった。
ここに、高蛋白のハード系小麦の輸出大国である米国への日本側の配慮が伺えるのである。

■ASW小麦の誕生

さて、オーストラリア小麦庁(AWB)は、旧来のFAQ小麦の改良の必要性を感じ、新しい格付方法(Grading system)を、昭和49(1974)年産より採用した。マーケットが要求する小麦の特性は更に詳細化・専門化し、要求内容が高レベルに変化してきたからである。
この時がいわゆる現在の日本のうどんの主たる小麦原料であるASW(Australian Standard White)小麦の誕生となる。

■ASW小麦の日本への進出

前述の日本の小麦生産の激減状態をみて、AWBは日本へオーストラリア産小麦を輸出し、増大させていく緊急対応策を検討した。
昭和49(1974)年 7月、AWBは2名の技術者を日本に派遣し、日本の小麦加工産業界の品質に対するニーズを徹底的に調査した。この時、香川県高松市にもやって来て讃岐うどんについても熱心にリサーチした。

又、昭和52(1977)年 10月に日本の製粉技術者2名がシドニーのBRI(パン研究所)に出向き「豪州小麦の製麺適性」について研究を行った。

このように日豪双方の努力があって、現在の日本のうどんの主原料であるASW小麦が完成されていった。しかしながら、当時は輸入量はまだ少なく、因みに昭和51年(1976)年の農林水産省のASW小麦の買付量は、食糧用20万t、飼料用40万t程度にすぎなかったのである(平成29年度のASW(食料用)の輸入量は80万トン強)。

■ASW、日本のうどん市場では圧倒的な強さを誇る

現在、日本で消費されているうどんの原料小麦はオーストラリア産小麦(ASW)主体である。
現在、うどんの原料小麦として日本市場を席捲してしまったかのようなオーストラリア産小麦だが、日本への輸入の実績はこの60年程度ということになる。
1600年とも言われる讃岐うどんの歴史からみて、その原料としてオーストラリア産小麦使用の歴史は浅い。少なくとも戦前まで、讃岐うどんの原料小麦は当然、香川県の土地で営々と生産されてきた県産小麦を使用してきた。

香川県での過去の小麦生産量は、例えば 大正12年~昭和3年間の6年平均:年間34,267t(今年度の収量の約9倍)
昭和4年~13年間の10年平均:年間47,530t(今年度の収量の約12倍)
もの生産を誇る。

まさに麦王国であった香川県のこの豊かな収量の中に、讃岐の食文化が栄え、讃岐うどんもこの基礎の上で成り立ってきたのである。

しかし一方、オーストラリア産小麦は、日本の飲食、麺市場からみれば、
「小麦粉生地の安定性」
「冴えた黄白色の綺麗なうどんの色調」
「適度な弾力の食感特性」
「茹後の麺の老化の遅さ」
等の優れた特性から、日本で高く評価されてきた。

このような歴史背景の中で さぬきの夢2000小麦の開発は始まった。
「さぬきうどんを地元産小麦で作ろう!」。さぬきうどん業者と製粉会社は強い意思を持つに至り、
香川県庁は「香川県産小麦開発研究会」を設置し、さぬきうどんに最適な本格的な小麦品種開発に取り組む方向性が決まった。

■「さぬきの夢2000」小麦の開発経緯


1991年

(平成3年)

香川県高松市仏生山町にある農業試験場において、讃岐うどんに適する小麦の開発(品種改良)が開始された。開発の中心は、多田伸治主席研究員。
「讃岐うどんの原料は、当然讃岐産小麦で!!」という思いと香川県の農業の生産振興の面からも使命感を持って着手した。

1992年

(平成4年)

数種類の小麦を25通りの組み合わせで交配し、約4000の固定系統を育成。その中から選んだものが「もちもち感」の強く食感の良い「西海173号」と色調に優れる「中国142号」を父母に持つ約800系統。
その中から絞込み選抜が開始された。

1999年10月

(平成11年)

第1回 製麺適性調査検討会
参加:県内製粉企業/生麺組合/JA香川県/県農林水産部/農業試験場/食品試験場)
選抜された候補:香育7号/8号の官能検査や検討を実施した。

11月

第1回 製麺適性調査検討会
香育7号/香育8号/チクゴイズミ(≒西海173号)/オーストラリア産小麦(ASW)の食感比較・評価

2000年2月

(平成12年)

第3回 製麺適正調査検討会

4月

第4回 製麺適正調査検討会

6月

香育7、8号 各6,700kgずつ収穫見込み(大規模栽培試験圃場収穫)

7月

「県産小麦うどん開発研究会/開発プロジェクトチーム」設置

8月

吉原食糧(株)製粉工場にて香育7、8号をテスト挽砕。

9月

吉原食糧(株)で製粉された小麦粉でモニタリング開始。県内うどん店で試作・評価を行った。
 「県産小麦うどん開発研究会/開発プロジェクトチーム」設置
 29日  香川県は農林水産省に香育7号を「さぬきの夢2000」として品種登録を出願した。

2002年3月

(平成14年)

平成14年度末まで「県産小麦うどん開発研究会/開発プロジェクトチーム」継続的に開催。

製造試験を行いながら、調査・研究を進めた。

2003年6月

(平成15年)

「さぬきの夢2000推進プロジェクト」検討会設置。
新たにマーケティングも含めて検討する当会が発足。さぬきの夢2000の今後の方向性を開発・生産・販売の面から総合的に検討を行う。

2004年3月

(平成16年)

平成15年産「さぬきの夢2000」が、中国・四国地区で作られた小麦の中でうどん用小麦として最高評価を受けた。(事務局:中国四国農政局)

6月

平成16年度産のさぬきの夢2000の作付面積 1,086ha。対前年比38%増。
生産量の確定数量は後日発表。昨年の播種時期に多雨のため、播種量が当初の予定通りいかず、生産量は予定数量より減になる見込み。


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