オーストラリア産小麦情報

2007年6月19日

<目次>

1.訪問スケジュール
2.旅 ~ 日本の製粉産業の「変遷の始まり」
3.日本のうどん用に輸出している西オーストラリアの小麦事情
4.小麦生育状況の視察(西豪州) ~ 小麦生産者訪問
5.総括
6.最後に


2005年11月19日~26日まで、日本のうどんの主原料の小麦を生産するオーストラリアへ行き、小麦畑~備蓄~輸出港の施設など 生産から出荷までの一連を見てきました。


日本が冬の時期、オーストラリアでは反対に夏の季節。しかし、日差しは強いものの、空気が乾燥しているので不快な暑さではありません。

350g ^^;;の牛肉、いわゆるオージー・ビーフも柔らかく美味しかったし、海産物やフルーツもとても美味しい!! 私には、オーストラリアの食べ物がとても合っているようです。畜産物、水産物、穀物、これらの新鮮な素材に豊富に恵まれていることが、食事の味の良さの大きな要素になっているように思いました。
以下作成したレポートの抜粋です


1. 訪問スケジュール


2005.11.19 成田発

~ ブリスベン港湾施設、小麦備蓄設備
~ メルボルン港湾施設、アグリフード・テクノロジー、AWB本社
~ はくばくオーストラリア社
~ パース 小麦生産者訪問 ~ 圃場[ほじょう]にて小麦生育状況の視察
~ クイナナ地区の港湾輸出ターミナル
~ フリーマントル港

11.26 成田着

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2. 旅 ~ 日本の製粉産業の「変遷の始まり」


今、日本で製粉業を営む我々は、世界の食糧市場の中で、そして日本の食品産業の中でどのような位置づけにあるのだろうか。
製粉企業は食品素材産業であり、国家貿易の中で小麦という日本の食糧の需給バランスをとるという役目の一環を担いながら小麦を加工し、食品の素材を製造してきた。
日本の製粉企業は地元で代々生業としてやってきたところが多い。戦後 外国産小麦が大量に輸入されはじめる前から、地元の小麦を加工して食品の最も基礎部分の加工を担うという役割を持ち、地元の農産業と共に生きてきたのである。

しかし 激しく変化する市場の中で、産業界が一つの生存パターンを延々と続けていくことはありえず、環境の変化によって「変遷の始まり」はいつか必ず訪れる。


製粉業界では、食糧という世界にあって「変遷の始まり」はなかなか見えてこなかった。
その兆しは随分前から業界の中で言われてはきていたが、例えば企業という船の船長(企業のリーダー)が、高いマストの上で遥かかなたの水平線に、こちらに向かってくる高波らしきものを見てとったが その高波が果たして船を破壊するほどの津波なのか、波が何を意味するのか、いつ船に到達するのかわからないといった感じだったのではないか。


しかし、いよいよ波は近づいてきた。
この変化の波の正体は、東アジアひいてはアジア全体の実体経済の一体化だったのではないだろうか。
人々の個々の要求や生活意識は 世界レベルで序々に均質化され始めており、それはインターネットを始めとする世界レベルの高速ネットワークや情報ツールの急速な進展をも引き起こすパワーの源になっている。


さて、国内産小麦の存在は「公共のもの」のように思える時がある。制度としては民間流通に移行したが、品種の独占や囲い込みは基本的に行なわないという認識が根底にある。原料として基本的に平等に分け合おうとする考え方である。

そういう考え方の大もととなる通念が、製粉業界には戦後ずっと流れとしてあったのではないだろうか。食糧の需給バランスをとるという重要な役目を持つ産業のあり方の基本として。


企業という共同体の中では、企業が収益をあげれば利益は株主や従業員に還元される。環境に適応し、公正な収益を上げ続けることが企業の論理である。しかし、米国、カナダ、オーストラリア、韓国とも異なる極めて特殊な農業事情、麦事情を長く抱えてきた日本における製粉産業は、企業という共同体の論理だけではなく、ある種公共的な役割「食糧供給として過度の競争よりも安定供給を優先」「国内農業振興のための施策に沿った経営」という役割を果たしてきた。


一方、現在の日本においてデジタル家電は年率30%超という激烈なスピードで値下がりが続いている。そこには過激なサバイバル競争の世界がある。しかしその競争の結果、誰でも安く買え、購入者の生活水準を高めるなら、それは社会に公共的な利益をも実現する。
さて、国の主食である小麦・小麦粉の世界で自由競争の概念が導入された場合、結果的にどのような公共的な利益を実現するのだろうか。
或いは我々製粉企業は、今まで日本の製粉産業が果たしてきた公共的ともいえる役割に代わって、今後どのような新しい使命と役割を持つのだろうか。

既に、われわれ製粉産業界は、取り巻く市場環境と共にひとつの時代を終え、「角」を曲がった。
時代の裂け目の中を進んでいるといえるかもしれない。新しく開かれつつあるアジア域の中で、はやく製粉企業が自らの位置、目指すべき場所を明確に捉える必要があるだろうが、それは多分、日本の製粉産業全体の中の自分の位置というより、新しいアジア・マーケットの中で個々の企業の位置を自ら獲得することになっていくのではないだろうか。

では、オーストラリアの小麦生産事情はどうなっているのか。アジアへの小麦の供給状況はどうなっているのか。どのような小麦品種を開発しているのか、現地の製粉企業はどんな動きをしているのか。
外の世界を見に...出る。オーストラリア産小麦の視察研修はこんな思いを持って始まった。


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3. 日本のうどん用に輸出している西オーストラリアの小麦事情


3.1 オーストラリアの小麦品種について


オーストラリア産小麦は、比較的雨量の多い南部からクィーンズランド州にかけて小麦ベルト地帯約1000万ヘクタールの耕作地で作付されていて、年平均2,100万tの生産があり、世界40ケ国へ輸出されている。オーストラリアでは、APH(プライムハード・タンパク13%以上)、AH(ハード・タンパク11.5%以上)、APW(プレミアム・ホワイト・タンパク10%以上)、ノーマルASW(スタンダードホワイト)、ASWN(ヌードル・ウィート:麺用に開発された品種)、AS(ソフト・タンパク9.5%以下)、Duram(デュラム・タンパク13%以上)など細かくは50種類以上の小麦を生産し国内外の市場に提供している。



3.2 西豪州について

面積:
南北2,400km、東西1,600km、2,525千平方km(日本の約7倍)

人口:
西豪州全体では約190万人。そのうちパースは138万人(72%)で、他の大都市に遠いため「世界で最も孤立した100万人都市」とも言われている。
内、日本人は4000人程度で永住ビザ2000人、長期滞在が2000人程度。

■ 西豪州の小麦
西豪州での小麦生産量は過去5年間の平均で、765万t(全豪の生産量の32%を占める。)

01/02年の西豪州の小麦輸出先:

インドネシア/140万t(28%)
韓国94万t/(19%)
日本91万t/(18%)
*総輸出量*503万t
現在、日本向けの小麦はこの地域の収穫されたものを輸出している。

■ 気候


地中海性気候。雨期と乾期に分かれ、夏12月~2月ま では乾期となり、殆ど雨は降らない。年間の降雨量は、850ml程度。このため病虫害は少なく、さらに植物検疫も大変厳しいため、西豪州は世界で最もクリーンで食の面からも安全な地域とも言われている。
訪問した日は、初夏の時期で最高気温が28℃、日差しは強く感じるが、空気が乾燥しているためか日本に比べ随分過ごしやすく感じた。


■ 西豪州小麦地帯の作付面積等


西豪州全体の小麦作付面積は、1996/97~2001/02の平均で約450万haである。
パースから距離150km程度から 北東が小麦の作付地帯となる。耕作面積が10~20ha程度では家庭菜園、あるいは兼業レベルだという。Dowerin から北東へ小麦地帯を進んでいくと3000~6000haクラスの農家があり、やがて7000haを超える農家、さらに奥へ進むと20,000~30,000haという農家もあるとのこと。
なにしろ、西豪州の小麦総作付面積は450万ha、日本の平成17年度の小麦作付面積は21万3,500ha、収穫量 87万4,000t。西豪州だけをみても、作付面積規模だけでなく、一生産者の規模の大きさは日本の感覚ではとても間に合わないほど。(但し、小麦の単収(10aあたり)は日本はオーストラリアの約2倍である。)

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4. 小麦生育状況の視察(西豪州) ~ 小麦生産者訪問

4.1 農場における小麦収穫見学
Perth市内から北東へ約150km、車で2時間強、Dowerinの近くの農場。

■ 農場全体の面積
4,200ha

■ 小麦の作付面積
1,700ha (因みに単収をオーストラリア・ベース2t/10haとすると、3,400t。)
香川県産小麦「さぬきの夢2000」を1農家が生産していることになる。
また5000頭のメリノ羊(羊毛:ウール用)を飼育している。

4.2 小麦収穫作業について


ハーベスター(能力:25t/H)で、穂の部分を刈り取り、ハーベスター内タンクに小麦がた溜まると「チェイサー」(トラクターのような牽引車の後ろに荷受車が付いている。:25t収納)に吐き出す。

「チェイサー」は25t満杯になると、離れた所にあるバッファ・タンク(タイヤ付移動可能:30t収納)まで走って行き、一旦 フィーダーで移し、またハーベスターの近くへ駆け戻る。


この「バッファ・タンク」からトラック(20tもしくは50tの2台ある)へ、フィーダーで小麦を落としこみ、トラックは個人のサイロへと運ぶ。個人サイロからは、更に大型のトラック(65tクラス)で受入サイロへと運ぶ。


4.3 圃場[ほじょう]について
日差しは強く、小麦はパリパリに乾燥している。日本の小麦のようにほぼ一様に空に向かって立ってはいない。中にはまっすぐ上を、向いているのもあるが、殆どの小麦は真横に向いたり、穂先が下に向いて穂はあらゆる方向に向いている。強い日差しと空気の乾燥によって既に圃場[ほじょう]で麦の乾燥が進んでいるのだ。


よって、麦の乾燥工程はなく、基本的に圃場[ほじょう]で11.5~12%まで自然に乾燥した時に、収穫を始める。収穫作業は繁忙期は朝7時くらいから夜11時まで続くとのこと。
刈り取った後の茎は圃場[ほじょう]に放置する。雑草類の種が入り込むのを防ぐ役目もあるとのこと。
気候柄よく乾燥し、小麦にとって大変適した環境でもあるため、大規模でざっくりとした小麦生産が可能なのだと思う。


茎は踏むとパキパキ音がするほどに乾燥していて、径が太くがっしりしている。また移動中バスの窓から、茎の小山のようなものも見受けられたが、これは飼育牛の餌になるそうだ。


当農場での今年の平均収穫量はHard小麦(品種:YIPTI)で、3.5t/ha。これは昨年の豆の作付の影響もあり、良いほうだ、ということ。オーストラリア産の単収としては抜群の量ではないだろうか。


4.4 小麦の播種について
プランティング・マシーンと呼ばれる機械でディスクを回して筋を作りながら、まず窒素の肥料を蒔き、その上に種を蒔いていく。(日本でも一般的)様々な輪作が行われているが、基本的には3~4つの作物を農家自身の判断で作付するとのこと。Pea(エンドウ豆)の後、小麦を播種というのは窒素の蓄積があって小麦にとって良いので、よくあるパターンであるとのこと。


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5. 総 括

予想通り、オーストラリアの小麦の生産・流通規模の大きさは凄まじい。が、規模の大きさだけではない。小麦を重要な輸出商品として開発・改良そして生産し、品質管理と安全性の管理を重要視しシステマティックに効率良く対応しようとする姿勢(最小コストで最大効果をあげようと努力する姿勢)。加えて、世界の顧客の要求を細かく聞き敏速に対応し、自国の強みを活かした戦略に基づいて、世界の穀物産業の競争に勝ち残ろうとする姿勢。

国家として、又AWBという企業も、小麦という輸出商品に賭けている総合力は強大である。


ただ、それぞれの国に歴史や文化があるように、経済や農業にも当然、国の特徴や役割がある。
単純に規模や効率の差だけに注目しても、日本の農業の将来や製粉産業のあり方の本質的な問題を見逃すことになるかもしれない。日本の気候や環境、農業構造の現状を踏まえて、どこを変え、どうアジアひいては世界の中で生きていくのか。日本の麦作と表裏一体の製粉産業はどのように生きていくのか。


麺に適した特性と品質の安定という面で大変優秀なオーストラリア産小麦、食感・呈味性に特徴のある国内産小麦、日本の各地方に深く根付く食文化、日本人の鋭敏な味覚と多様な嗜好性、安全性に特に厳しい日本市場、低価格化への流れ。
もはや日本の製粉企業全てに共通する経営上の正解はないだろう。今回、オーストラリアと日本の小麦生産について歴然とした物量の差を強く実感しただけに その差の中に逆に日本の中小製粉企業の生きる道があるように思えた。

5年前の欧州の製粉企業を中心に視察して感じた「スモール・サイズは本当に不利なのか」という命題に対して、私は未だに解を得られていない。ただ、どの産業、どんな市場環境下でも、その企業が生き残れるベストな企業サイズと固有の役割があるはずだ。それを見つけられなければ、存続できなくなってしまう。そんな思いがある。


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6. 最後に


日間の欧州旅行ではあったが、現地の食事を実際に味わい、オーストラリア産ワインを飲み、わずかな時間ではあったが、商店街を散策してオーストラリアの生活の雰囲気を少しでも味わえたことはとても良い思い出になった。パースの農場近くのJenna Cubbineというドライブイン風のレストランでは 350gの柔らかなオージー・ビーフを頬張った。
ワインを少々、そして食べ終わると、隣室の片隅にジュークボックスがあることに気が付いた。5年前 欧州の視察研修の際、スイスの大衆食堂で見つけたジュークボックスはドーナツ盤のアナログを針でかける懐かしい機械だったが、今回はCDのジュークボックスだ。


そこで、ジョン・フォガティ(ex.CCR)のRattlesnake Highwayという曲をかけてみる。ミディアム・テンポで、腹にズシンと来るベースの響きと歪んだストラトキャスターの音が部屋に響き渡る。パースの乾燥した大地の土煙舞うDusty Roadを走る気分にぴったりだ。前進あるのみ。そう聞こえる。迷っている時間はない。人間にも企業にも前向きの勢いが必要なのだと思う。


平成17年11月26日 午前8時を過ぎて、私たちの乗った飛行機は、長く続いた暗闇の後、暁の雲と空そして海だけの世界から日本の上空に入った。
やがて眼下に広がる黄色、茶色、緑の3色の畑。小さく几帳面に区画されている様子がよくわかる。
鮮やかで綺麗な光景である。
ブリスベン、メルボルン、パースと移動しながら飛行機や、平野を突き抜けて延々と続く道路から見たオーストラリアの大地は広々とした景観で、まさに大陸と思わせるスケール感と自然の美があった。が、この国には、それとはまた違う「整った美しさ」がある。


2つの異なる美しさの存在を感じた時、2つの異なる国を行き来したことを改めて実感した。
午前8時32分 私たちは快晴の成田空港に着陸した。


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