さぬきうどんタイムカプセル

2007年10月28日、当社敷地内で第1回さぬきうどんタイムカプセルを開催しました。
来場のお客様は約800名、うどん1500食は15:00前に完売致しました。  
皆様、本当にありがとうございました。


前日の土曜日は、かなりの強風。
製粉工場5階から降ろした"自作・超ビッグサイズ看板"。
これは、工場長と企画開発課の女性担当者が作成しました。
今回、看板やポール、門、お菓子のワゴン、小道具類も社員で作りました。
準備の時は皆、大学祭か、高校の文化祭のような雰囲気でとても楽しそうでしたね〜。



前日の土曜日は、かなりの強風。
看板が強風であおられて、とても心配。
空はドンヨリとした曇り。明日は晴れますように。



10月28日朝。快晴!!
一昨日の大雨、昨日の強風から一転の秋晴れとなりました。  
さっそく朝の準備です。
会場時間は10:00。  
9:30には、来場の皆さんが並び始めました。ご来場、本当にありがとうございます。



会場時間は10:00。    
9:30には、来場の皆さんが並び始めました。
ご来場、本当にありがとうございます。
10:25 うどん販売開始の11時、まだまだ早いけど、沢山の方がお待ちになっている。


さあ、うどんの準備はどうだ?順調に進んでいるか?心配だ。調理室を覗く。7つの寸胴鍋が煮えたぎっている。麺は?切り出しも順調!!よっしゃー、順調!!
今日は、朝3時から担当者が準備を始めている。3種類、それぞれのうどんにあった熟成時間が必要だから。前日、仕込んだ宵練りのうどんもある。塩濃度も加水量も、当然それぞれ異なる。

3つの時代のうどんを、それぞれの"時代の味"に適した状態で皆さんに食べて頂きたい。そのために、担当者は神経を集中させる。今まで何度 3種のうどんの試作をしたかなあ。

昭和初期のうどんの原料は、「さぬきの夢2000」。現在、香川県産小麦はさぬきの夢2000のみ。これを、石臼で挽く。「なーんだ、昭和初期のうどんと言っても、小麦が違うじゃないか。」......それは仕方がない。それこそ、タイムワープして当時に小麦を取りに行くことはできないし。

しかし、ここでちょっとお伝えしておきたいことがあります。私の故・父が終戦後、マレーシアから引き上げて昭和22年に製粉事業を立ち上げた時(それまでは、当社は精麦業だった)、当時の小麦は、「新中長(しんちゅうなが)」。これは昭和8年から、香川県の小麦奨励品種に採用された小麦です。

私は、子供の頃、よく父から「新中長の小麦は、それはそれは素晴らしい小麦だった。小麦の粒が輝くように見えたもんや。」と聞かされたものです。よほど父は気に入っていたのでしょう。


【さぬきの夢2009】


しかし、ここでちょっとお伝えしておきたいことがあります。私の故・父が終戦後、マレーシアから引き上げて昭和22年に製粉事業を立ち上げた時(それまでは、当社は精麦業だった)、当時の小麦は、「新中長(しんちゅうなが)」。これは昭和8年から、香川県の小麦奨励品種に採用された小麦です。  

私は、子供の頃、よく父から「新中長の小麦は、それはそれは素晴らしい小麦だった。小麦の粒が輝くように見えたもんや。」と聞かされたものです。よほど父は気に入っていたのでしょう。


生前 父がの書いた文章から引用すると......
「昭和22年4月から製粉を始めた私は、この新中長を、その輝くような色調を有し、適度な粒の大きさと形状を備え、粉の品質も良いところから、讃岐うどん用に適した小麦として愛用した。実はこの長幹種の小麦は、差浮きの民家に藁屋根が多かったことから重宝がられていた。」


【昭和の風景】


この「新中長」小麦と「さぬきの夢2000」小麦は、たんぱく質の一部に共通の遺伝子を持つことを、さぬきの夢2000開発者の多田技術員からずっと以前、「さぬきの夢2000」開発時期に聞きました。私は嬉しかった。21世紀の小麦「さぬきの夢2000」に、昭和8年に香川の奨励品種に採用された小麦と血がつながっている、という事実。

ですから、さぬきの夢2000が全く昭和初期の小麦とは別物とは言えないと思うんですね。昭和初期の小麦は、もうはるか時のかなたですから、さぬきの夢2000を使わせて頂くとして......

さて、うどんの販売は11時からですが、10時過ぎには長蛇の列となり皆様にあまりお待たせするのも申し訳ないということで、10時半位から販売をスタート。 いよいよ、3つの時代の讃岐うどん販売が始まりました。



ところで、3つの時代の讃岐うどんって?

【昭和初期のうどん 〜80年前〜】

当時は、現在の坂出市府中町や加茂町の綾川流域で、水車製粉による石臼挽きの小麦粉が多く生産されていました。
現在は、府中ダムができて昔の面影は少ないですが、記録によると昔はそれは美しい水がとうとうと流れる綾川だったようです。

日本の水車の最盛期は、大正から昭和初期で、その頃香川では、400〜500台の水車が稼動していたと推定されていて、昭和15年 香川県製粉組合が組織された時、製粉用水車は約120台が稼動していました。
香東川25台、綾川20台、土器川20台、金倉川8台、財田川15台、柞田川15台等であったようです。



私の母は、昭和3年の生まれで、子供の頃食べた水車動力で挽く小麦粉で作るうどんは「とても"甘味(あまみ)"があって、つるつるして美味しかったんよ」とよく言います。昔の人は、現代で言う「旨み(アミノ酸等の呈味性)」のことを「甘味(あまみ)」とよく表現していたように思います。ショ糖などの糖の「甘さ」とは違う表現です。
例えば、小麦粉をいきなり指で舐めて、「う〜ん、この粉は甘味があるのぉぉ」といった感じで。

当時は、家で作るうどんはご馳走であり、母は茹でている時のあの香りがたまらず、釜から熱いのを取って食べていたといいます。
私の子供の頃と同じことしていますね、母も。^^;;;;


母は、「さぬきの夢2000」の石臼挽き小麦粉で作るうどんを以前からもう何度も食べていますが、懐かしさも相まって大ファンというか、「石臼挽き粉うどんマニア」と化していますね。(笑)  

さて、今回のこのうどん、昭和初期の讃岐うどんの姿を想像しながら再現しました。  
小麦粉は、香川県産小麦を石臼で挽きました。麺の色は濃く、味は深く、風味の強いうどん。  

目指したのは「復活!昭和初期のうどん!!」  

【昭和45年のうどん 〜37年前〜】  

日本の高度成長期の象徴となったEXPO'70(大阪万博)。その万博で全国に名を知られるようになった讃岐うどん。  
アジアではベトナム戦争。国内では大学紛争の終焉。懐かしいあの時代に食べていた讃岐うどんとは?しっかりとした弾力のうどん。いわゆる強いコシ。あの宇高連絡線のうどんがまさにこの時代の食感。


【昭和45年の大阪万博 'Expo'70】


【昭和30年代後半〜40年代前半頃の風景】


ただ、今回のうどんは、現代の嗜好に合うように、できるだけ茹でたてを出すよう、スタッフは努力しました。そのため、「え〜、当時 こんなに旨いうどんだったっけぇ?」という意見もある方から頂きました。
それは、FM香川「こけし・はやしの課外授業」のドクター林さんからです。う〜ん、恐るべし。讃岐人の味の記憶力。まさに執念か!?^^;;

桂こけしさんにも、真剣に(1?)味わって頂きました。その感想は、12月の土曜日 18:30〜の番組で放送される予定です。私もゲスト出演させて頂きます。詳しい放送日と時間は、またトップページでお知らせさせて頂きます。

小麦粉特性としては、ほぼ当時の仕様で再現しているのですが、いかんせん当時は、製麺所に近いという、よほどのラッキーな立地条件でないと普段は そう茹でたてうどんを食べられる環境になかったのは確か。

私の場合は、製粉屋の子供であったこと、すぐ近所に日の出製麺所があったというダブル・ラッキー(?)で、子供の頃は、粉の納品(トロッコに粉を積んで引いていく)についていって、製麺所に入り込んで、茹でたてをつまむという感じでした。納品の帰りに、茹でたてを買ってかえるということも多かった。

ただ、一般的には昭和45年頃はまだ 外食としてのうどん店に今のように日常的に行くものではなかったし、製麺所の近くでない家庭では、あまり茹でたてを食べる機会はなかったのは確か。
だから、昭和45年頃のうどんのイメージに、茹でたての食感イメージを持っている人は限られているのでしょう。

そのうどん店も、製麺所からうどん玉を仕入れるところが多かった。当時、専門うどん店のつゆは香ち高く旨かった。あのイリコの匂い、高級うどん店はカツオも使っていたと思われるが、うどん専門店の前を通る時や高松駅の立ち食いうどん店から漂ってくる匂いは、いまだに忘れられない!!


【昭和40年頃 〜讃岐うどんを食べる姿〜】


話があちこちへ飛びましたが、いずれにしても次回、茹でたてを食べる機会が少なかった当時を前提に再現する方法はあると思います。
時間が経過すれば、逆に麺が締まってくるという特性の当時の小麦粉仕様を、今回の昭和45年のうどんで採用しましたから、製法的には問題ありません。
ただ、大量のうどんを連続して出す、となるとその方法は難しくなりますねえ。

・・・・・・そうか、昭和45年のうどんだけ、皆さんに30分位時間をおいて食べてもらうと結構 昔のあの食感が復元できるかも・・・しかし、待ってもらえないだろうな・・・。

ああ、だんだん当時のあのやや太めで、かみ締め応えのあるうどんの映像と食感が、頭の中にはっきりと、よみがえってきました。^^;;;
大体、よく噛むと味をよく感じるんですよね。当然ながら。だから、よく噛むことが必要な食品は、より美味しく感じますね。

【次世代のうどん 〜 2015年を想定 〜】

食味・食感が変わりつつある、現在・21世紀の讃岐うどん。その変化の先には、どんな讃岐うどんが待っているのだろう? ひとつの未来形讃岐うどんを創造しようというのが このうどんです。

なぜ、2015年なのか?まあ、約10年後のうどんはどんなだろうか?というテーマです。
個人的には、「2001年宇宙の旅」的に、「2015年讃岐うどんの旅」の気分なんです。^^;;;;

もちもち感があり、なめらかなうどんというと、よく「タピオカ澱粉入りですか?」と聞く人がいらっしゃいますが、ちなみに当社の手打うどん用小麦粉製品には、ユーザの方が特別仕様で希望しない限り、澱粉は入れません。
タピオカ澱粉を配合すると、「柔らかな弾力感がでる」とよく言われますが、「小麦粉の特性」と「うどん製法」で作り出す持ちもちもち感とは明らかに違います。

一番わかりやすいのが、冷凍うどんの食感。これが、タピオカ澱粉入りの代表的な食感と言えるでしょう。タピオカ澱粉は、独特のちょっと癖のある弾力を持っています。確かになめらかさは出ます。つるつるし過ぎるくらい。
使い方によって美味しいうどんになるかもしれませんが、どれも似たような食感になりやすいところが難しい。

この次世代讃岐うどんは、もちろんタピオカ澱粉は入っていません。
オーストラリア産とさぬきの夢2000の異なる特性を掛け合わせた異種融合...ちょっと難しい言い方になってしまいますけど。
この2つの原料を 目的に応じて胚乳部を細かく分類して別々に挽き、最後に調合する製法です。
決して 原料配合はしません。小麦粒の硬度も、品質特性も異なる原料を、最初から原料配合して一緒に挽きこんでしまう製法は、私たちは採用しません。

うどんを食べている皆さんの意見を聞くと、やはり結構若い方が好んでいたことと、アンケートでは3つの内、最も高い評価となりました。
もちもちとした食感、柔らかめだけど、ダイナミックスを感じる!みたいなところが、評価されたのかもしれません。

次世代の讃岐うどん、麺の食感だけでなく、うどんメニューにかつてなかったトッピングや味付けが出てくる可能性があると思っています。チーズ世代、スパイシー世代、辛ウマ世代。
メニューのメインにはならないかもしれないけれど、「え〜っ!?」と驚く味覚のメニューがスッと生まれて、特定の世代に大うけする時が来るような気がするんですよね。


さて、うどんを食べた皆さんの感想はどうだったのでしょうか。
当日の会場で聞いた感想や、アンケートを整理して.....次回 パート2としてアップします!  
お楽しみに。


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